日本で唯一の
酒米専門研究機関が生んだ山田錦。
1894年、兵庫県明石市に兵庫県立農事試験場が設立され、種藝部で酒米の品種改良試験が始まりました。ここで人工交配された山田穂と短稈渡船の雑種集団の中から、のちの山田錦が生まれることになります。その後、地元農家の熱心な働きかけにより、日本で唯一の酒米専門研究機関として兵庫県酒米試験地が開設されたことにより、山田錦誕生へ研究が進み、ついに1936年2月27日、「山田錦」が誕生しました。
育成から生産振興へ。
様々な苦難を乗り越え、日本一の酒米へ。
酒米の生産振興とともに酒造会社への販売促進に取り組む兵庫県酒米振興会が1950年に発足。映画「酒と米」や歌「兵庫の酒米(山田錦を讃えて)」の制作など、当時では画期的な手法で山田錦のPRを行い、販売促進を強化しました。この結果、1962年には山田錦史上最高出荷量となり、1963年には山田錦作付面積が最大となりました。しかし、1965年、台風23・24号による大きな被害を受け、この頃から機械化栽培への転換期を迎えます。機械化のために圃場整備や土壌整備など、関係者による様々な努力が続けられてきました。
最高品質の山田錦を
守り続けるために。
これまで以上に、収穫された山田錦の品質を高水準に保つため、JAグループ兵庫では様々な取り組みを行っています。そのひとつとして、2011年、生産者が調製時に使う動力米選機のふるい目を2.00mmから2.05mmへ改革(グレードアップ兵庫県産山田錦)。山田錦の粒はり・粒ぞろいが良くなり、酒造りにも大きなメリットを生むことになりました。